イスラム科学
イスラム科学は、中世~近世のイスラム世界において発達し、アラビア語によって叙述されていた科学の総称をさす。
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呼称に関して
イスラム科学と呼ばれるが、ムスリム(イスラム教徒)だけが築き上げたのではなく、ユダヤ教徒やキリスト教徒など、様々な宗教に属する人々によって発達させられてきた。
また「アラビア科学」とも呼ばれることがあるが、アラビア半島を中心とする地名としてのアラビアでのみで発達したわけではなく、東は中央アジアから西はイベリア半島までいたる地域的な広がりをもっていた。
また、「アラブ科学」とも呼ばれることがあるが、アラブ人だけが担っていたわけではなく、民族的にペルシア人、トルコ人など様々な出自の学者たちが活躍したので、実情を示す用語としては的確さを欠いている。
このようにこの呼称は、必ずしも適切ではない一面をもつ。 「科学は近代西洋に特有のものであり、それ以前には存在しなかった」とするある種の価値観がこの呼称を作っているともいえる。
生成
イスラム帝国が形成され、アラビア語が学問の言語として広い地域で使われるようになる以前の古典古代にギリシャ、ペルシア、インドなどで発展していた科学をもとに発展した。このようにしてイスラム世界にもたらされた学問には哲学、論理学、幾何学、天文学、医学、天文学、錬金術などがあり、博物学、地誌学などとともに、法学・神学・語学・文学などのアラブ人伝来の「固有の学問」に対し、「外来の学問」と呼ばれた。しかし、外来の学問であっても正確な知識を求めることはハディースに照らしてもイスラムに相応しい行為とされ、固有の学問を修める学者が外来の学問を兼修することはまったく珍しいことではなかった。
アラビア数学
特に数学の分野ではアラビア数学がもたらした成果は大きく、代数学や三角法はアラビア数学が開拓した分野である。また、アラビア語とともに使われていた数字はインドから取り入れたゼロの概念を反映してゼロの数字をもっており、これがアラビア数字としてヨーロッパに伝わり、世界中で使われるに至った。
化学(錬金術)
化学の分野でもアラビア科学の果たした役割は大きい。 アルコール、アルカリなどの名称にもその痕跡を留めているが、そもそも化学という言葉もアラビア語起源であった。
中世ヨーロッパで盛んとなる錬金術(羅:Alchemia, Alchimia; アルケミア)は、アラビア語 al-Kimya が12世紀にラテン語に翻訳されてヨーロッパに紹介されたことによるものである。 ヨーロッパの錬金術は、やがて17世紀の科学革命を経てアラビア語の定冠詞 al が取れて「化学」(羅:Chimica、英:Chemistry)となる。
Kimyaはギリシア語のケーメイア(Khemeia、Χημεία)に由来する。 ケメイアの語源には諸説あるが、ケム(Khem、Χημ) の派生語で、黒い地、エジプトを意味するのではないかと言われている。
Khem → Khemeia → al-Kimya → Alchemia → Chimica → Chemistry
この変遷自体が、古代エジプト、古代ギリシアの科学がイスラム世界のるつぼに流れ込み、中世ヨーロッパに伝えられ、科学革命を経て西欧近代科学に繋がるという科学史をそのままに写している。
ラテン名ゲーベルまたはジーベル(geber)として半ば伝説的な化学の祖とみなされているのは、8世紀、 アッバース朝の5代目カリフに仕えたジャービル・イブン=ハイヤーンである。
歴史
ムスリムの治める地域において、ムスリムを中心とする人々が科学の研究へと進み始めたのは、8世紀に成立したアッバース朝のもとであった。アッバース朝ではカリフや宮廷のワズィールたちの保護と学術振興の意思に基づいて主にギリシャ語の翻訳に始まり、特に第7代カリフマアムーンが創設したバイト・アル=ヒクマ(智恵の館)には多くの科学者が集まり、ギリシャ科学のアラビア語への翻訳が進められた。マアムーンに仕えた科学者のひとり、フワーリズミーは、インドの天文学や数学を取り入れて、代数学や数理天文学に関する著作を残した。
9世紀にはこの成果がアッバース朝の隅々にまで行き渡ったアラビア語による学問のネットワークに乗せられて知識人たちに広く受け入れられ、イスラム哲学の祖として知られるキンディーのように、同時に数学、天文学、医学、論理学、哲学など様々な学問に通じた学者が多くあらわれた。
10世紀から11世紀には、アッバース朝の政治的な衰退とは裏腹にアラビア科学は空前の発展を遂げ、プトレマイオスの天文学を改良したバッターニー、数学・天文学に通じ光学に関する重要な著書を残したイブン=ハイサム、哲学と医学の分野でヨーロッパに大きな影響を与えたイブン=スィーナーらが活躍した。
近代西洋科学の基礎
これらのアラビア科学の成果は、12世紀以降にムスリムの手からキリスト教徒に再征服されたシチリアやイベリア半島でラテン語への翻訳が進められ、近代ヨーロッパ科学の基礎を提供した。また、この時代には数学・天文学の分野でオマル・ハイヤームなどの学者が活躍し、13世紀にはモンゴル帝国のもとで先端の天文学がイランから中国へと伝えられた。しかし、中世以降のヨーロッパにおける科学の劇的な発展とは対照的に、14世紀から15世紀にかけてアラビア科学の発達は滞るようになっていった。ティムール朝期の中央アジアで見られた天文学の隆盛は、アラビア科学の最後の輝きであった。